今日は何の日 「節分」
本日は節分です。
どのようにお過ごしでしたか?
近年は恵方巻きと呼ばれる広告が目立ち、商品も多様化し(スイーツまでも)全国的に販売されるようになりました。
恵方巻き自体は、1989年セブンイレブン広島市中区舟入店の野田靜眞さんが「大阪には節分に太巻き寿司を食べる風習がある」と聴き、仕掛けたことにより1998年から全国へ。2000年代以降急速に広まったそうです。
古くから恵方巻きというものがあった訳ではないことも今回改めて知りましたので、「節分」についても調べてみました。
節分(せつぶん/せちぶん)は、雑節の一つで、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のこと。節分とは「季節を分ける」ことも意味し、江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多いそうです。
太陰太陽暦(旧暦)では、立春に最も近い新月を元日とし、月(太陰)の満ち欠けを基準(月切)にした元日(旧正月)と、太陽黄経を基準(節切)にした立春は、ともに新年ととらえられていました。したがって、旧暦12月末日(大晦日)と立春前日の節分は、ともに年越しの日と意識されていたことになり、今も節分を「年越し」「年取り(数え年とは、生まれた日を1歳とし、誕生日に関係なく新年に皆が年を取る数え方)」と呼ぶ地域があるのはこの名残です。
邪気を追い払うために、古くから豆撒きの行事が執り行われています。
文献に現れる最も古い記録は、室町時代の応永32年(1425年)正月8日(節分)を記した文書で、この頃既に都の公家や武家で豆まきが習わしになっていたことがわかります。
その20年後に編纂された辞典『壒嚢鈔』(1445年または1446年成立)巻一の八十三「節分夜打大豆事」には、宇多天皇の時代(867年-931年)、鞍馬山の僧正が谷と美曽路池(深泥池)の端にある石穴から鬼が出て来て都を荒らすのを祈祷し、鬼の穴を封じて三石三升の炒り豆(大豆)で鬼の目を打ちつぶし、災厄を逃れたとする由来伝説が記されています。
豆は、「穀物には生命力と魔除けの呪力が備わっている」という信仰、または語呂合わせで「魔目(豆・まめ)」を鬼の目に投げつけて鬼を滅する「魔滅」に通じ、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがある。(初期においては豆は後方に撒くことも。)
豆をまく際には掛け声をかけ、通常「鬼は外、福は内」。
しかし、地域や神社によって異なる場合も。
鬼を祭神または神の使いとしている神社、また方避けの寺社では「鬼は外」ではなく「鬼も内(鬼は内)」としている。奈良県吉野町の金峯山寺で行われる節分会では役行者が鬼を改心させて弟子にした故事から「福は内、鬼も内」としています。また新宗教の大本は鬼神を「艮の金神(国常立尊)」と解釈しているので、同じく「鬼は内」と。「鬼」の付く姓(比較的少数だが「鬼塚」、「鬼頭」など)の家庭もしくは鬼が付く地名の地域では「鬼は内」の掛け声が多く「鬼は外、福は内」だけでなく「福は内、鬼も内」なども。
そして、年齢の数だけ豆を食べ厄除けを行います。(自分の年の数の1つ多く食べると体が丈夫になり、風邪をひかないという習わしがあるところも。)また、邪気除けの柊鰯などを飾るところもあり、これらは、地方や神社などによって異なっています。
使用する豆は、お祓いを行った炒った大豆(炒り豆)で、豆を神棚に供えてから撒く地方もあります。炒り豆を使用するのは、旧年の厄災を負って払い捨てられるものであるため、撒いた豆から芽が出ては不都合であったためであろうということ。北海道・東北・北陸・南九州の家庭では 落花生を撒き、寺社や地域によっては餅や菓子、みかん等を投げる場合もあるそうですが、これは「落花生は大豆より拾い易く地面に落ちても実が汚れない」という合理性から独自の豆撒きとなりました。
かつては、豆のほかに、米、麦、かちぐり、炭なども使用され、豆まきとなったのは、五穀の中でも収穫量も多く、鬼を追い払うときにぶつかって立てる音や粒の大きさが適当だったからとする説もあるそうです。
スーパーマーケットなどの特設コーナーで、炒った豆をパックにし、福豆(ふくまめ)などの名称で販売されています。鬼のお面(お多福の面が入っている商品もある)がおまけとしてついているものもあり、父親などがそれをかぶって鬼の役を演じて豆撒きを盛り上げる家庭が多いはず。しかし、元来は家長たる父親あるいは年男が豆を撒き鬼を追い払うものであったそうです。
小学校では6年生が年男・年女にあたるため、6年生が中心となって豆まきの行事を行っているところもあり、神社仏閣と幼稚園・保育園が連携している所では園児が巫女や稚児として出る所も。相撲力士を招いて(醜・しこ・四股を踏む事により、凶悪な鬼を踏みつけ鎮める悪魔祓いをする)豆撒きをする社寺もあり、テレビのニュースで毎年見る光景ですね。
コラムを通して、色々な行事・習わしについて今後も、本来の意味を理解して伝えていきたいと思います。